つぶやき
 

勝手ながらブログへ移行させていただきます。


H.17.6/8

 愛知万博に行ってきました。全店休業してスタッフの皆さんとの旅行でした。
子供の頃大阪万博を見逃して後で後悔した経験があるので、店のスタッフの、
それも特に若い人たちに見てもらいたかったのです。

 企業のパビリオンは待ち時間が長く最初からあきらめていましたので、今回は
特に外国のパビリオン巡りに終始しました。
 はっきり言って玉石混合、高校の文化祭でももうちょっと気の効いた展示を
するぞ、ってなものから、期待を大幅に超えるパビリオンまで、けっこう一日
楽しむことができました。
 また、コーヒーに携わる者として、生産国のパビリオンは見逃せません。
中南米共同館はコーヒー屋にとって馴染みのある国々のブースが目白押しで
皆も興味津々でした。
 しかし今日のハイライトは何と言ってもイタリア館の「踊るサティオス」像見学と
イタリア本場のカフェの体験でした。二千年以上も前のこの作品に感動し、その余韻に
浸りながら二百年近い歴史を持つイタリアのカフェで旨いカプチーノをいただく・・・
本当に贅沢をさせていただきました。


H.17.1/27


 昨年は日本をはじめ世界的に大災害に多く見舞われた年でした。
極めつけが12月26日に起きたスマトラ沖地震津波災害。
あまりの悲惨さに正月気分も吹っ飛んでしまいました。

 皆さんご存知のようにスマトラ島は素晴らしいコーヒーの産地でも
あります。マンデリンは特に有名ですが、アチェの人々が作っている
ガヨマウンテンコーヒーが私は大好きです。商社の担当者からこの
コーヒー豆を紹介してもらったのが15年くらい前のことでしたでしょうか。
初めてこのコーヒーを焙煎した時のことを今でも忘れません。
芳ばしくも甘い豊かな味わいは、若かった私の心をとりこにしてしまい
ました。今で言う「グルメコーヒー」のさきがけでした。
 この素晴らしいコーヒーに目をつけたヨーロッパやアメリカのバイヤー
に上級品を持って行かれ、また生産量が増えてかなり品質が落ちた
時期もありましたが最近はまた少しずつ良くなってきたかな、という
印象でした。
 
 ちょっと政治的な話になってしまいますが、インドネシアという国は
国際社会が注目していないと、少数派の民族の自国民に対して
非情ともいえる強権的な手法を取る事がしばしばです。東ティモール
の独立運動ではその軍事国家ぶりを遺憾なく発揮していました。
 アチェの独立運動も例外ではなく、情報がほとんど漏れてこない
当地がこのように国際社会の注目を集めたのは初めてで、それが
今回のような阿鼻叫喚の大災害によるものだとは、なんとも皮肉な
運命、というより仕方がありません。

 この災害で亡くなられた多くの方々のご冥福を祈ります。



H.16.10/11

 塩尻店を開店して1ヶ月が過ぎました。
伊那の本店は若手店長に任せて、私は新天地
の塩尻に出向いております。

 新しい珈琲店の在り方を模索して数年、外資系のコーヒー
ショップに負けない地方ならではの独自の新しいスタイルの
コーヒーショップを作ろうと決意し、ここに従来の自家焙煎
珈琲豆挽き売り店と、ニューウェイブの「カフェ」がドッキング
された店が実現しました。
 うまいドリップコーヒーと、最高のエスプレッソ、カプチーノ、
ラテ、・・・ちょっと欲張りですが店頭でローストされた新鮮な
コーヒー豆を使ってのエスプレッソ、旨くないわけがありません。

 それにしても・・・
 エスプレッソやそれに付随するアレンジコーヒーに我を忘れて
あいつはとうとうコーヒー屋としての本筋を踏み外してしまったんでは
なかろうか??・・・なんてご心配の声が聞こえてきそうです。
もちろん自家焙煎珈琲店のおやじとしての本分も忘れてはいま
せんのでご安心を。というより、伝統というものは常に変革を
求めて行っても変わらぬコアの部分をそう呼ぶのであり、その意味
からすれば、当店は従来の伝統を守っています。
 そして何より今までコーヒーに興味がなかった人がコーヒーに
興味を持ち出して下さっている事が実感として感じられます。
こつこつと毎日数釜づつこまめに焙煎を続ける先に、このようなお客様
方との出会いも楽しみな毎日です。新しい焙煎機にもしだいに慣れて、
いよいよコーヒーシーズンに向けて本格的に稼動を始めます。


H.16. 7/11

 1〜2年後に予定していた塩尻店新規開店が当初の予定よりずっと
早まり、今年の9月になりました。
 好物件が国道沿いに見つかり、条件面でも特に問題はなさそうなので
契約までトントン拍子に進んだのでした。

 伊那に店を出してから12年が経ちました。東京から信州に移り住んで
からというもの、3年〜5年単位で必ず大きな節目があり、飲食店の開店は
今回で5回目の経験です。

 バイクとギター以外何も自分の物がなく、打ちひしがれようにも、もともと失う
ものが何もなかった20代。女房と知り合い、二人三脚で商売を軌道に乗せた
30代。念願の珈琲屋稼業に専念できた40代。そして50歳になろうという今、
事業としての新しい展望が見えてきたように思います。これもひとえに
今まで贔屓にして下さったお客様、誠実に働いて下さる従業員の皆さん、友人、
関係業者の方々、そして肉親家族の協力のおかげと心から感謝する日々。

 9月1日プレオープンに向けて、頑張ります。
 


 H.16 5/14

 最近、メールを空けると大半がウィルスである。
ウィルスソフトを常駐させているから良いものの、それでも駆除にかかる
手間は半端ではない。毎日30〜40もウィルスメールが来ると、さすがに
憂鬱になる。またそれ以上に鬱陶しいのがスパンメールだ。拒否できる
物は良いが、配信拒否をしても全くお構いなし、同じ内容でも来るたびに
発信元が変わってくるため、着信拒否もできず、大切な仕事のメールと
ごちゃ混ぜになってしまう。もともと購読を希望した覚えもなく、ある意味
ウィルスより薄気味悪い。ウィルスメールのほとんどすべてはW32.Netsky
の類だ。
 もちろん差出人は詐称されていますので特定はできません。感染したパソコン
のドライブをスキャンし、登録されたメールアドレスに対して自分自身のウィルスを
添付して詐称された差出人より発信されます。 

 それだけ多くの方に登録して頂いているということなのでしょうが、どうか
皆さんが早く感染に気付いて、ウィルスを駆除して頂きたいです。
これ以上ひどくなると公開アドレスを変更せざるを得ない。しかし、それだけは
避けたいのです。


H.16 3/1

  今日月曜日は当店の定休日にあたります。家内が三浦先生の講演が
「いなっせ」のホールであるわよ、と知らせてくれ、久しぶりに
三浦さんの弾き語りを二人で聴きに出かけました。
 三浦さんは家内の実家がある辰野町の今村に在住で、ご存知の
ようにシンガーソングライターとしてご活躍中です。「わが心の
ふるさと、信州信濃の田舎町」という演題でお話と、歌を数曲聴き
ました。何度も聞かせて頂いた歌の数々ですが、何故か「カムサハムニダ
イ スヒョン(ありがとう イ スヒョン)」を聴いた時、不覚にも涙が溢れ
てきました。知っている方も多いかと思いますが、新大久保駅で起きた
列車事故(ホームから転落した人を韓国と日本の青年が助けようとして
3人とも亡くなった)を題材とした歌です。
今日は三浦さんの温かい語り口とあいまって、素直に感動しました。また、
クールで計算づくの行動が受けが良い現代にあって彼らの行為の尊さを考
えさせられました。彼らの人生もまた十分に全うされ、完結していた
のだと思いたいです。イ スヒョンさんのオモニにお会いし、とても和ら
いだ素晴らしい表情をされていたとの事、そういう心境になるまでの心の
葛藤、孤独、などに思いを馳せると、まさに"Struggle is Beauty.(相剋は
美なり)"と言えるかもしれません。

「蕾にして凋落せんも亦面白し。天の命なればこれまたせんすべなし。
只人事の限りを尽くして待たんのみ。事業の如何にあらず、心事の高潔
なり。涙の多量なり。以て満足すべきなり。」碌山のことば(講演会
資料より)。
 
 


H.16 2/3

禅的生活

 最近ストレスが溜まりやすいなと感じ、何か気持ちが楽に持てるような本がないかと探して
いたところ、玄侑宗久著による「禅的生活」に巡り会った。
内容は下記のようである。

* 禅における「自分」とは理性が把握できる自己ではない。禅は、理性的思考を超えて自己の
 内部に無限の可能性があると認めることから発想を始める。禅は、何らかの感情に染まった
 「心」を空にする。そして、「世界の在り方を観ようと思うなら、まず世界が心で造られた
 ものだと見極めよ」と説く。

* 心を曇らせるのは、記憶をもとにした価値判断や歴史認識である。その曇りを「妄想」
 (モウゾウ)と呼ぶ。坐禅瞑想によって、その曇りが晴れた、澄んだ心に達しようという
  のが、禅である。

* 価値判断から解放され、本来の心に辿り着くこと、それが「悟り」である。悟った心は
 比べられないものを比べようとはせず、世界をありのままに受け入れる。

* 禅は、あらゆる瞬間は独立していると考え、「今」という時間を味わいつくせ、と説く。

* 禅語の「主人公」とは、自分の役に没入できる人のことを指す。禅は、今の自分の役に
 なりきる事を強く求める。

* 禅的生活を心がけるには、現状を全面的に肯定してみることだ。どんなことも「私が
 望んだ事なのだ」と思ってみる。それがさまざまな仏教書に出てくる「知足」(チソク)
 である。現状を完全に肯定し、「今」に力強く立つことから全ては始まる。


 日頃、私たちが「自分」と思い込んでいるのは、理性で把握できる自己である。しかし
自分の中に可能性は無限であって、理性が全てを把握しているわけではない。
 「可もなく不可もなし」、ということばは、「まあまあである」という意味に使われるが
禅では全く違う意味になるそうである。もともと論語からきたこの言葉は、「為すべき事、
為してはならない事」を決め付けない、という意味になるという。
 だから「可もなく不可もなし」という主張は、理性的な価値判断を最大限に重視する欧米
の思考とは発想が逆なのだ。私たちは現実生活の中でいろいろな場面で常に価値判断を
迫られる。良いか、悪いか。こうあるべきだ、そうであってはならない。美しいか、醜いか。
真実か、真実でないか・・・、一日が終わるともうくたくただ。
 本当の自分はあらゆる事をそのまま受け入れる準備はできているはずなのに、現実には
やはり価値判断を迫られる。

 「ザ ラストサムライ」では冒頭、勝元が坐禅を組んで瞑想している場面からストーリー
がはじまる。今、なぜこの映画が話題を呼んでいるのか。理性的に考えれば勝ち目のない
戦に突き進む勝元の行動は無謀に見える。しかしラストシーンで彼が死ぬ場面で彼の口から
出てきた言葉は "It's perfect." であった。


H.16. 1/15

  「会社」ってなんだ?

 今回自分の事業を法人にしようと思い到った理由は、
1、個人事業での限界をブレイクスルーしたい。
  (より良い生豆を安定的に入手し続けるには、ある程度の企業スケールが必要。)
2、自分が夢見て、準備し、起業し、続けて、曲がりなりにも発展させてきたことを
  世に問うてみたい。
3、若い人により多くのチャンスと可能性を残したい。
4、自分が倒れても事業が継続され、わずかながらも世の中に貢献し続ける公器を
  残したい。

  「株式会社」でなく「有限会社」を選んだ理由

 身の丈にあった組織と経営を目指すなら今は有限会社がベストな選択。身軽であり、
ある意味安全でもある。また急激な規模拡大を図るなら株式会社が適しているが、
そうでなければ有限会社で良い。

 要は、如何に次の世代に夢を繋いでいくか、が大切なことである。
この世のものに「永遠」などということはありえない。しかし、「会社」は「永遠」に
続くものという概念のもと、運営される。しかし、現実はそううまくいかない。新規に
登記される会社のなんと80%が10年以内に消えていくそうだ。これは以前、非常に
簡単に会社が設立できた時期が長かった反動ではないだろうか。今は最低資本金
なども有限会社で300万円、株式会社で1000万円必要である。かりにも事業を起こ
そうとするにはこのくらいの資金は当然必要である。会社の信用の裏づけとして、
この程度のハードルはクリアしなければならない。
 政府は若者の起業率を高めようと、1円でも会社が設立できる制度を創設したが、
若者諸君、簡単にこれに飛びつくのは危険だと心得てほしい。数年以内に最低
資本金を満たせば良いとし、甘い幻想を担保としたこの制度は若い経営者に腰を
すえた資金繰りを放棄させ、資金ショートによる経営の判断ミスを起こさせかねない。
 若者よ、起業するために100万円くらい自分で稼ぎなさい。お金があっても
起業の夢を描いてからそのくらいコツコツ貯めなさい。皮膚感覚でお金を稼ぐ大変さ
を味わい、その間にビジネスプランと夢を共有してくれる他の出資者を探しなさい。
貴方が夢を抱いて、努力していれば100万程度出してくれる人は必ず見つかります。
本人100万+出資者2名200万で有限会社はできます。
 なんでこんなことを書いているのかというと、今の日本の若者の起業率が欧米(特に
アメリカ)に比べて極端に低いからです。若者の起業意欲なくしてこれからの日本の
活力は生まれようがありません。
 
 

 


H.16.1/14

 
 昨夜、辰野町にお住まいの昔の音楽の仲間の一人が亡くなった。根橋唱二さん、心筋梗塞での
急逝であった。クラシック音楽に造詣が深く、ご自宅には素晴らしいオーディオルームがありました。
独身の頃、時々一緒に音楽鑑賞をさせて頂きました。家内との縁もこの方とのお付き合いに縁るところ
が多く、訃報を耳にして家内と二人、涙を堪えることができませんでした。
 私と違い、地域の信頼も厚く、数多くの役職も歴任された方でした。音楽もさることながら、長距離
ランナーとしてのキャリアは特筆されます。昨年の諏訪湖マラソンにも元気に参加されたとのこと、
ランナーとしての記録は短ければ短いほど良いでしょうが、人生はながく愉しんで頂きたかった。
 いろいろ考え方の違いはあっても、お互い年老いた頃、笑いあって、昔のように一緒に音楽を
愉しみたかった。
              ダウランド作曲 「涙のパバーヌ」 を弾きつつ・・・合掌

                                            安らかにお眠りください。


H.15.11/26

 当店の主任が結婚しました。伊那市の平安閣(マリエール)で行われた挙式と披露宴は多くの友人知人、
そして家族や親戚に祝福された和やかで暖かなものとなりました。
 神前で緊張気味に夫婦の契りを結ばれるお二人を、私たち夫婦は媒酌人としてしっかり見届け、
続いて行われた披露宴の挨拶も無事済ませ、なんとか大役を全うする事が出来ました。
 
 人は私的存在であると同時に社会的生き物である、ということが改めて思い起こされるのがこのような
セレモニーに立ち会ったときだろう。どんなに独りで気ままに生きているつもりでも、やはり人は有形無形
の他の人からの支えで生かされている。「天上天下唯我独尊」、卑屈になる事無く、驕り昂ぶる事無く
人は自分を世界で一番尊い存在にしなければならない。しかし同じように他者を尊ばなければならない。
自分が真実に成り立つことは、他人を押し潰して自分を主張することではなく、他人を真に成り立たせる
ことによって、自分が真に成り立つことだ。叉、他人を真に成り立たせることは、自分を貶めて他人を
たてまつることではなく、自分を真に成り立たせることによって、他人を真に成り立たせることだろう。
 わたしたちは努力すればするほど迷いの深みにはまるという、厄介な資質も持っている。頑張れば
頑張るほどおかしな事になって行く事もある。間違えることも、卑屈になる事も、驕り昂ぶる事も現実には
しばしばあらあな。

 しかし、煩悩や迷いが深ければ深いほど、また悟りも大きいものだ。
「赦すこころ」、アガペーとしての「愛」・・・

 彼の結婚式に参加し、御臨席して頂いた方々のお顔を見ながらそんな事を考えていた。 

 

 


H.15.9/9

 コンサートのプログラムが決まりました。
秋の夜長、ギターの音色を一緒に愉しみませんか?

 10/5(日)7時30分から開演です。コーヒー付で入場料500円です。
定員オーバーの場合は10/13(月、祝日)(7時30分)にもう一度弾きます。
*ご来店の前に必ず電話を下さい。残り客席数のご案内を致します。
      

禁じられた遊び              ・・・・・・・・スペイン民謡

涙のパバーヌ               ・・・・・・・・ダウランド

メランコリーガリアルド          ・・・・・・・・ダウランド

リュートのための6つの小品              ・・・・・・・・作者不明

リュートのためのプレリュード(BWV999)   ・・・・・・・・J.S.バッハ

サラバンド、ドゥーブル   (BWV1002)   ・・・・・・・・J.S.バッハ

(無伴奏バイオリンパルティータ第1番より)

サラバンド                ・・・・・・・・ヘンデル

     *****COFFEE BREAK***** 

(ミッシェル、フライミートゥームーン、バードランドの子守唄)


前奏曲第3番               ・・・・・・・・ヴィラ・ロボス

エチュード第11番            ・・・・・・・・ヴィラ・ロボス

ショーロス No.1            ・・・・・・・・ヴィラ・ロボス 

マズルカ - ショーロ           ・・・・・・・・ヴィラ・ロボス

前奏曲第5番                  ・・・・・・・・ヴィラ・ロボス



H.15.8/23

 「ギターミュージックの夕べ」と題してささやかなサロンコンサートを三澤珈琲伊那店にて10月5日(日)にしたいと思っています。20〜30人程度しか入れない小さなスペースですので、興味のある方は是非予約されてからご来店ください。希望者が多い場合は後日もう一度開きます。2回目以降の日にちは追ってご連絡します。

 プログラムは ヴィラロボス、ダウランド、ヘンデル、バッハ より 構成していくつもりです。

 11月後半頃を予定していたのですが、色々な都合が重なって急きょ予定を早めました。全曲の暗譜はちょっと間に合いそうもなく、カンニングをしながらの演奏になりそうです。途中、コーヒーブレイクをはさんで、その間はポピュラーなBGMを生ギターで演奏する予定です。演奏する私も楽しむつもりですので、どうかお気軽にお問合せください。(コーヒー付で 500円)

http://www.misawacoffee.jp/eventpicture/guitar.jpg


H.15.8/22

 ようやく真夏の暑さが戻ってきました。でも、もうお盆も過ぎて夜になると秋の虫が鳴き始めています。今年の夏はあまり蝉の鳴き声をきくことがなかったですね。何年間も土の中で耐えて今年しか地表にでるチャンスがなかった無数の命、低温で地表に出る事もままならずそのまま土になってしまったのでしょうか・・。


H.15.8/5

以前、同じ県内からよく注文を頂いたNさんから、沖縄へ引っ越したので新住所にコーヒー豆を送るように、との知らせを受け住所を見てみると、なんと日本の最南端の島「波照間島」(ハテルマジマ)とのこと。すごいです、世界地図で見ると台湾と並んでいるように見えます。あのNHKの朝ドラの「ちゅらさん」の実家の小浜島よりずっと南です。行ってみたいですね〜。どんなとこかな、とネットで調べたら、これがまた紺碧の海以外ナンニモナイとこなんですね。でもそれが良い。 Nさんは「星空荘」という民宿を営んでいらっしゃいます。そこから見える星空はきっと私達にとって未知の領域でしょう。なにもせず、星空を眺めて、命の洗濯をしたいです。


H.15.8/2

 続き・・・

 「セカンドオピニオン」とは、最初にかかった医師の見立てを尊重するあまり、間違った治療をしてしまったり、手遅れになってしまったりするようなリスクを減らすために、別の医師の意見を求める事を指します。私の場合もそうでしたが、医者によってはかなり威圧的、断定的な物言いをする人がいます。患者は病気への不安から弱気になっている場合が多く、選択の余地のない断定的な物言いをされると全ての判断をその医師に委ねてしまいそうになります。

 命にかかわる重大な疾病が懸念される場合、複数の医師の意見を求める事は今や普通のこととなっています。別の医師に意見を求めた事で機嫌を損ねたり、怒るような医師は医師として失格です。充分患者さんを納得させる論拠を示し、穏やかに今後の治療法を提案してもらいたいものです。

 今回、私はセカンドオピニオンを求めた事で、不必要な手術を受けずに済みました。胸部疾患の専門医による精密検査で、99.9%信用できると思います。
ある医者には不可能な手術でも、別の専門医には可能な場合もあります。また、医療技術は日進月歩です。複数の医師を訪ねる事で画期的な治療法に巡り会えることもないとは言えません。


H.15.7/30

 A病院から肺に「小型病変の疑い」あり、と書かれた通知が舞い込んだ。人間ドックの胸部ヘリカルCTによる検査で、判別しづらいが小さな影が出たのである。この歳だ、いつそうなってもおかしくはない、とおもってはいても、実際に「ガンかも?」と疑ったときの恐ろしさは半端ではなかった。肺がんは転移しやすいガンである。この通知が来るまでに2週間が経過、さらにA病院にての結果説明にさらに1週間弱待たされたのである。この間、ありとあらゆる肺がんに関する情報を詰め込んだ。知れば知るほど厳しい現実を知った。リンパ節などに転移がないごく初期の段階で手術した場合でも「5年生存率」は70〜80%程度。嗚呼! A病院でのY医師の説明は極めて乱暴なものでした。「ほら、ここに小さいのあるでしょ。2〜3ヵ月後にまた来てCTとってみる?待つのはイヤ?それならすぐに外科に回しちゃうけど・・・切るしかないでしょ。切ってみなきゃ良性か悪性かもわかんないんだから。」・・・1ヵ月後のCT検査を予約して、その場を後にしたが、私はすぐに「セカンドオピニオン」を求めて病院選び、医者選びに取り掛かった。こういう時にインターネットは縦横無尽の活躍をする。通院可能な総合病院の検索、それぞれの病院の持つ設備の状況、そして一番大切な医師の照会、専門医に関しては、その医師が公開している最新の論文にまで目を通した。結果、自宅からさほど遠くない岡谷のE病院にお世話になる事にした。ここの対応は迅速でした。半日で問診、胸部レントゲン、CT精密画像による検査、そして最後に結果説明、と前の病院ならば1ヶ月に渡りそうな検査の過程を半日でこなしてくれた。結果説明を聞くために1時間ほど待たされたわけですが、人の気配がまばらになった病院待合室の夕暮れ時、いろんな想いが交錯しました。正直、99%手術は免れない、と思っていましたから・・・・・・・・しかし、

 「三澤さん、大丈夫ですよ!」

 一面に広げられた何十枚にもわたる私のCT画像を前に、H医師はきっぱりと宣言してくださいました。1枚ずつ画像の意味する所のものをわかりやすく解説してくださり、誤解されやすい個所の指摘と、実際のがんの画像との比較までしてもらえました。「まだ生きられる」 と素直に実感し、歓びが溢れてきました。

 この一週間はずっと「死」を意識してきました。かなり進行した状態を告げられても動揺しないように心の準備をしておく必要がありました。インターネット上ででガンに苦しむ患者さんたちが励ましあい、助け合う姿をたくさん拝見しました。苦しい闘病生活でもユーモアにあふれ、最後まで希望を捨てずに自分らしく生きようとしている方の日記も拝見しました。どの姿も輝いておられ、また人間の持つ底力を垣間見たような思いがしました。人間は皆「余命あと〜年」です。ただ普通はそれを意識しないで生きている。ゴールを示される事で日々を精一杯生き切る事が可能になる事もある。「死」と向かい合う事でより「生」が輝いてくることもある。ガンにかかろうがかかるまいが突然の事故死意外はどの道人間は「死」と向かい合わなければならない。帳尻は合うものなのかもしれない。

素晴らしい人生がここにあります。
http://www.humanbalance.net/gan3/data15/data15-103.html


H.15.7/8

 休日を利用して、生まれて初めての「人間ドック」を経験してきました。この歳まで人間ドックに縁がなかったのはひとえに自営業であったがためでした。つまり、会社で面倒を見てくれるわけではないので、保険の利かない「人間ドック」を敬遠してきたのでした。しかし最近このコストを割高だとは思えなくなり、自腹を切ってでも是が非でも受けようと思った次第です。
 せっかくの休日を割いて検査を受けるのだから少しでも気分良く設備の良い病院で検査を受けたい。以前知人が治療を受け、そのスタッフの対応の良さや設備の充実度を絶賛していた松本のA病院が印象に残っていたので、思い切ってそこまで足を伸ばす事にしました。
 その病院は人間ドック用の施設が別に作られており、待合室などはちょっとしたホテルなみ。施設内の食堂はなんと松本でも指折りのフランス料理店、という気の利かせようでした。しかも人間ドックの料金にそこでの食事が含まれているのでした。これならつらい検査も頑張れる・・・「内視鏡検査」・・・これは本当につらい。数年前に一度受けた事はあるのですが、この時のつらい記憶が蘇りつつも、「きっと数年の時の流れが、胃カメラを限りなく細く、あたかもそうめんをすするように飲みやすく、苦痛のないものにしているに違いない。」などと勝手に考えていました。 が、・・・横になった私の前に突き出された太くて長い「それ」を見て私の希望的な観測が見事に裏切られたのを認めざるを得ませんでした。「ゲ〜!こんなん飲めるか〜!」

 数分間の七転八倒の苦しみから開放された後、いくつかの検査を終了し、ご褒美のフランス料理を堪能して、帰路についた次第です。


H.15.7/6

 梅雨空のあいだに差し込む眩いばかりの夏の日差し、
不気味な厚い雲が垂れ込めていても、高く上ってゆけば
必ずそこには太陽の光が待っていてくれる。山あり谷あり、
好景気あり、不況の嵐もあり、泣き、笑い、の人生。

 ひとつ言える事は「自分の事で精一杯悩んだ人は、いつか
人のために涙を流せる人になる、」ということでしょうか。


H.15.6/30

 最近は店の定休日に得意先廻りをする事が多くなった。毎日のルーチンワークが増えすぎて、定休日でないと得意先のお客様とゆっくり話ができない。
 つまり、本当の意味での休日がなくなり始めている。これは由々しき問題だ。良い仕事をするには良い休日が必要だと思う。7日間に1日完全に休む、と言うのはユダヤ教の教えから来ているはずだが、その流れはキリスト教社会に受け継がれ、holidayとして世界中に定着した。この語源は"holy-day"(聖なる日)だそうだ。因みに、"business"は"busy"から派生しているのだと思うけれど、日本語でも「忙しい」の「忙」という字は「こころを亡くす」と書くくらいだから、どうしても「聖なる日」は必要になる。つまり自分が自分に戻れる"holy-day"だ。これが確実に取れないと人はストレスを抱え込むようになるのではないだろうか・・・

 なんて事を考えながら、今日の休日は家内と一緒に長野まで友人の開店祝いに行って来た。地方には珍しい中国茶の専門店ということで、素晴らしい品質の烏龍茶をご馳走になって大満足の帰宅途中、やはり取引先廻りをしてしまう自分がそこにいた。従業員のK君も今日は木曽の奈良井宿にあるお客様の所に遊びに(仕事に?)行っている筈。これはこれで良い。日常から少しでも離れる事に意味がある。日常と離れたところで人と交わる、自分を見つめる。
日常があるから非日常を愉しめる・・・


H.15.6/22

 本当に怖いものとは、

 物の怪、妖怪、お化け、の類いではない。

 それは「人の心」だ。

 本当に素晴らしいものとは、

 権威でも、金でも、偶像でもない、

 それも「人の心」だ。

 ロマンチストはそう考えたが、

 実存主義者は「人の心なんていったいどれほどのものだ」

 「結局彼を取り巻く社会的環境によって規定されてしまうものではないか、」

 「丸裸の人の心なんて吹けば飛ぶようなものだ。自惚れるな、冷徹に現実を見つめよ。」

 なんて、横槍を入れる。

 どちらか一方に完全になり切れれば幸いだ。しかし、僕の心にはいつも両極にあるこの

 考え方がせめぎあっている。

 まるで青臭い学生に戻ったように、こんな事を意識しながら最近は暮らしている。


H.15.5/22

 職場体験学習としてこの2日間、なれない手つきながらも一生懸命仕事をこなしてくれた
地元中学生のお二人さん、ご苦労様でした。
 
 人生初めての職場体験に当店を選んでくれたわけですが、仕事はきつかったかな?
どんな仕事も楽なものはないけれど、つらさの中にも夢と目的を持った職業人に将来
なって欲しいものです。

 夢を持つという事は、誰にも壊せない自分の心の城を持つという事です。そしてそれを
実現していくための長期の目的、中期の目的、短期の目的を持つ事が大切。すぐに実現する
夢はたいしたものではない。心に秘めて、暖かく大きく育ててほしい。どんなにつらい現実が
待ち受けていようとも君達の城は誰にも壊す事はできはしない・・・君達がそれを持つ事を
諦めないかぎり・・・
 
 ゆっくりで良いのです。でも人生は君達が思っているほど長くはない。あせらず、間断なく
自分を高めてください。その間の挫折は歓迎すべき事です。人に傷つけられたら、それも
自分に受け入れてください。それは「傲慢になるなよ」 という天からの愛のある贈り物
だと思ってください。恐れず、ひるまず、すべての経験をこれから生きていくための糧と
して下さい。


 逞しく生きてください。


H.15.2/20

 最近事業所を中心に悪質な「節電器」セールスが横行している
ようです。「この機器を取り付けると御社の電気代は大幅に削減
されます」と言葉巧みに訪問のアポイントメントをとりつけ強引に
契約を取るようですが、機器設置後のクレームに対してはのらり
くらりと責任を回避するそうです。
 最近当店にもこんな調子で電話でのセールスがかかって来ます。
そのしつこい事といったら、切っても切ってもかかって来るのです。
店の忙しい時間帯に執拗に電話をかけてくるので、つい根負けして
訪問の承諾をしてしまいそうになる程です。この他にも様々な電話
によるセールスがありますが、彼らはいったい人の大切な時間を
なんと考えているのでしょうか?詐欺ではないまともな商品でさえ
電話でセールスを掛けられるとその信用性を逆に疑いたくもなって
しまいますね。  


H.14.12.16

 長い間三澤珈琲辰野店の開店準備と開店後の煩雑な業務に
追われておりました。特に開店前夜と当日夜は焙煎に追われて
完全に徹夜状態でした。学生時代以来久しく徹夜などしていなかった
ので、しらじらと夜が明けてきた時には何か新鮮な気分にさえなった
ものです・・・が・・・後がいけません。寄る年波には勝てず、
体調不良の一週間。ようやく本来のペースに戻ってきたところです。
無理はいけませんね。


H.14.10.26

 うっ、さぶ〜!
 今朝の第一声でした。
いよいよ秋も深まり、朝晩の冷え込みも厳しくなろうとしています。
こんな朝は商売気抜きでアツアツのコーヒーが飲みたい、と心底
思うのであります。今朝は店に出た後も味見と称していろんな
コーヒーを5杯も飲んでしまった。コーヒー屋稼業の唯一の特権
かな? 


H.14.9.26

 お彼岸も過ぎて山々が色づき始める季節になってきました。
ここ信州にあっては朝晩めっきり冷え込むようになり、もう
すでに暖房器具のお世話になっております。

 気温が冷えるのは一気にならないのですが、今年の9月の
街場の景気の冷え込みはちょっといままで経験した事のないような
ものでした。当店はコーヒー豆の販売が本業ですが、喫茶室も
併設しているため飲食店組合なるものにも加入しております。
この加盟店が数年の間に30%以上の激減!今年の秋はさらに
その傾向に歯止めが利かなくなりそうです。

 深夜、場末の小さなお店(ほとんどがアルコールを出すお店)
にコーヒー豆をお届けするときに、善良そうなご主人や奥さんが
カウンターにぽつんとひとりで座っているのを見るのはつらい。
でも私の商売は元気の素を売る稼業でもあり、努めて元気に
接します。一通りの世間話をするわけですが、よそのお店の様子
を聞かれたり、ご近所のうわさ話、はては政治の有り様や経済の
見通しまで・・・ふう!こんな調子で数件も配達すると心身ともに
疲労がたまります。でもたまには元気なママさんやマスターに
気合を入れてもらうこともあって、実はこんな調子の「気」の
やりとりを結構楽しんでもいるのです。「生」の人間って面白い
ですもんね。


H.14.9.12

 過酷な夏を乗り切り、大好きな、大好きな秋がやってまいりました。
飯がうまい!良く寝られる!音楽や本が恋しい季節でもあります。

 昨年もこの時期はうきうきしていたっけ・・・しかし9月11日の悲劇は
そんなお調子者の楽天主義を見事に打ち砕いてしまった。
 「悪夢」としか言い様のない出来事だった。こんな事が現実に
起こるなんて。やはり世界は破局に向かっているのか?押さえの
利かない恐怖の連鎖。 言葉が見つからない。子供達に言うべき
言葉が見つからなかった。
「おまえ達はこのような世界に生きていかなければならない。」心の中で
そうつぶやいていた。

このような世界・・・

 これまでアメリカはソ連との冷戦時代を通じて力のバランス「均衡政策」
で世界をコントロールしてきた。アメリカの言う事を聞かない国が台頭しても
同じ地域内でこれを抑える国を支援し、地域内の安定を計ってきた。同盟国
とも協調し、国連の存在も最大限活用してきた。
だが最近はどうだ。環境問題をとっても京都議定書を批准しないことから始まって
ことごとく国際協調から逸脱した行動が多い。軍事的にスーパーパワーとなった
現在、よその国の顔色を見て態度を決める必要がなくなり、イラク攻撃にしても
以前のような深謀遠慮は要らない、かのように見える。ブッシュ政権の中の
「新保守主義派」(ネオ・コンサバティブ、「ネオコン」)の台頭がその傾向に
拍車をかけている。

 歴史は繰り返す。緒戦の勝利に勢いを得て戦争の拡大を図り、コントロール
が利かなくなった例はわが国をはじめ枚挙にいとまがない。 それでもアメリカ
こそが世界をコントロールしうるという考えは米国内において根強いようだ。

 昨夜遅く、衛星放送で国連の議場が中継されていた。その中でアナン事務総長
が演説をしていたがとても興味深く、また心を動かされた。彼は世界中の紛争
当事国の代表をその国を名指ししながら凝視し、全ての国が世界規模の利益
に思いを馳せ、それをもって国の利益とみなすよう諭していた。格調高い
演説だった。続いて行われたブッシュの演説は「テロとの戦争」を隠れ蓑にした
国家エゴ丸出しのものであった。
 どうか最後まで国連が機能し、第2次世界大戦前の国際連盟のような有名無実
の存在にならないよう祈るばかりである。


H.14.7.24

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓夏が来た〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 梅雨が明けた途端に真夏の日差し、コーヒー屋泣かせの季節に
なってきました。35度を超える焙煎室にひとりこもって黙々と
豆を煎っております。ビールや清涼飲料水の消費が伸びるこの時期、
コーヒーは少し押され気味ですが、真夏でも美味しいコーヒーを
召し上がっていただくため、私は悲壮な(?)覚悟を致しました。
 あれやこれやと豆の種類が増えてきて、風味の抜けやすい夏場は
もう管理が大変で、冬場の数倍の速さで味が劣化していきます。
そこで15年ほど前まで使用していた小型の1kg用ロースターを倉庫から
引っ張り出してきて、焙煎室に据えつけたのです。
 
 現在5kg釜をメインに使っており、大口の注文があった時
のみ10kg釜を使用しておりますが、月間1トンを焙煎する
当店にあって、今更1kg釜もなかろう、ましてこの灼熱の季節
にサウナ同然の焙煎室で長時間労働を強いられる究極の少量
焙煎とは!
 しかし、決めたのです。もちろん主力の定番ストレートは
5kgを使用しますが、それ以外のコーヒーは1kg釜で行きます。

これで課題であったダイエットにも成功するかな?

〓〓〓〓〓〓夏にこそ美味しいコーヒーを!〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 当店では夏場は更に煎豆ストックを少なくして、全てのコーヒー豆
の回転を速め鮮度を保ちます。
 真夏こそおいしいコーヒーを召し上がってください。ばてそうな体
に活力を与えてくれる事請け合いです。 
 


H.14.4.8

全国的に気温が例年より高く、春の訪れも一足飛びでしたね。
春とは名ばかりで、初夏を思わせる日も珍しくなくなりました。
ここ信州では梅の花とこぶしの花と桜の花が一斉に同じ時期に咲きます。
厳しい冬の間の眠りから覚め、春の訪れを待ちかねたように我が世の春を
競い合うのです。
全国的に有名になった高遠のコヒガンザクラもその見事な花を披露し
はじめました。例年より2週間も早い開花に関係者も大慌てです。
当店から眺められる伊那市の春日城址公園のソメイヨシノも公園開き
の前にもうすでに満開になってしまいました。

最近、新規に3件の喫茶店のオープンに立ち合わせて頂きました。
駒ヶ根の「SELFISH」様、木曽の奈良井宿にできた「こでまり」様、
そして茅野市の杖突峠の「峠の茶屋」様・・・それぞれのお店が夢と
希望に満ちて船出するのを見届ける事ができたのはとても幸せな体験
でした。コーヒーを通して私達も成長しなければ・・・素直にそんな
気持ちになれたものです。

都会暮らしの皆さん、信州の桜は今が盛りです。どうぞこれから
でも桜見物にお出かけ下さい。諏訪から高遠に行かれる時は
是非杖突峠の「峠の茶屋」さんに御立ち寄りください。ここからの
諏訪盆地、八ヶ岳を望む大パノラマは本当に素晴らしいですよ。


H.14. 1. 11

  遅ればせながら・・・皆様、あけましておめでとうございます。
今年は馬年とのこと、私は年男となります。中国の古典に出てくるような一夜にして千里を走るような「駿馬」たり得るか?はたまた何をいわれても「馬耳東風」、「馬の耳に念仏」、鈍感な駄馬のままで過ごすか・・・?いいえどちらでもありません。自分は自分!「無事これ名馬」を座右の銘としつつ、ちょっと冒険もしてみたい・・・でもやっぱり「馬食に合わない」ことはやめてしまう、極めて保守的になりつつある中年男。

 今年は本音で生きていきたい。どんなに「ええかっこしい」で生きていても人生は時として本人にとって思いもかけないかたちで無残にも断ち切られる事がある。昨年のテロ事件は自分にその事を再確認させてくれた。今月17日は阪神大震災から7周年にあたる。あの時の思いが蘇る。いつか自分にも「その時」が来るかもしれない。でも、だからこそ何時逝っても良いように自分らしく生きてゆきたいものだと思う。

 今年も「一所懸命」に珈琲を焙煎します。さながら通行人の足を止めるべく涙ぐましい努力を重ねる大道芸人のごとく。人が振り向いてくれて「なんぼ」の商売、お客様が喜んで下さり、頻繁に御利用くださる事こそがその店の価値である、と信じて精進してゆきたいと思います。


H.13.12.10

 先日、「月刊かみいな」という新聞でコーヒーの特集が掲載され、当店の事が紹介されました。そのせいかこのところ喫茶もコーヒー豆の販売も大忙し!この不景気の中で他の外食産業の多くの方々が苦しむ中で、本当に複雑な心境ですが、この仕事のパブリシティーが高まってきているものと、気を引き締めている今日この頃です。
 現在、店のスタッフは私を除いて全て女性陣で占められています。平日午前中のM.S.さん、細い体に鞭打って主に喫茶室でてきぱきとお客さまをこなしてくれています。コーヒー豆の焙煎やコーヒー豆の発送準備、PCでのメールチェックにかかりきりで、午前中あまり接客ができないわたしの分までしっかりとカバーしていただいています。午後からは当店期待のコーヒーマン(レディー)A.T.さんの登場です。先任のR.S.さんの後を継いで一生懸命にコーヒー道に励んでいるところです。なかなか味を取るのが上手で、コーヒー豆の焙煎にかかりきりの私にとって彼女による味覚チェックは心強い限りです。当店は土曜日曜が結構忙しく、一日立ちっぱなしの仕事はかなりきつく感じる時もあると思いますが愚痴も言わず活躍してくれるのが期待のリリーフエースK.A.さん。小柄ながら秘めたる闘志を持った学生さん、実家を遠く離れて一生懸命学業にも励んでいます。そして最近入ったアルバイトのT.H.さん、暇な事が嫌い、と言うだけあっていつもこまめに動いてもらっています。
 そして最後に登場しますは我が女房殿。辰野店店長、兼 伊那店非常勤、兼 配達要員、兼 当店総務部長(?)として縦横無尽の大活躍をして(強いられて?)います。

 以上、簡単ですがスタッフの紹介をさせて頂きました。今年も残りわずかになりましたが、当店のお得意先、ならびに店に足繁く通ってくださったお客さまのお陰でなんとか一年無事に過ごさせて頂きました。これからもスタッフ皆で力を合わせて美味しいコーヒー作りに邁進して行きますので、どうぞよろしくご愛顧の程、お願い申し上げます。


H.13.11.10

 今日はやたらと学生のお客さんが多かったのでその一人に尋ねたところ、信大農学部の学園祭が始まったとのこと。もうそんな季節になったのですね。信大農学部といえば優秀でありながらユニークな人材が集まる事で知られています。そしてなによりもバンカラなイメージが強く女子学生の割合が少なかったはずなのに、最近は女子学生がとても増えてきて華やいだ校風に変わってきている。この大学、意外に地元の学生は少なく、県外から多く学生が集まってくる。特に関西の出身者が多いようである。都会から来た若者にとってこの土地はどんな風に映っているのだろうか。現役学生はもちろん、卒業生たちもこの季節信州伊那に集まってくるところをみると、結構この伊那の空気が懐かしく感じられているのかも知れない。お世辞にも綺麗な町とはいえないし、華やいでいるわけでもないのに、この街にはなにか懐かしい匂いがする。この街を包む山々も人々を優しく癒す力を持っている様だ。未曾有の不況感が漂う街中に屈託のない若者達が集う。


H.13.11.1

 読書の秋、食欲の秋、そしてコーヒーの美味しい秋。腕によりをかけて美味しいコーヒーをつくらなければ、と意気込んでいるものの、最近コーヒー生豆の質に少しばかり変化が現れてきているように感じる。注意をしていないと使い物にならない豆を掴んでしまうリスクが高くなっているようだ。原因はコーヒー生産者価格の長期低迷にある。ニューヨーク先物市場で1997年に1ポンド200セントを上回った取引価格は現在50セント近辺をうろうろしており、一向に相場上昇の気配が見えない。コーヒー相場低迷のニュースは日経新聞などにも取り上げられており、関心のある人々には衆知の事実となった。お客様にも「仕入れが安くなって儲かるでしょ」などと最近言われる事が多くなりましたが、これは一般的にはある程度真実ですが、心あるコーヒー屋にとっては的を得ていない言葉といわざるを得ません。確かに1997年には一体どうなってしまうのかはらはらした覚えがあり、相場が下がってきた時にはやれやれ良かった、と思ったのは本当です。しかし現在は長期低迷相場が生産農家の意欲を消失させてしまっています。結果として産地は荒廃し、コーヒー豆の品質は低下していかざるを得ない。当店ではこの状況を踏まえて、プレミアムコーヒーの割合を高めてきました。定番品についてもグレードを更に上げるなど、全体として味のレベルを落とさないように神経を使っています。こうなると仕入れ価格の平均値はむしろ高くなっていくのです。
 以前の「輸出割当制」が良いとは言えませんが、自由を礼賛するあまり、過度の市場経済がまかり通ると一時的にこのようなジレンマが起きてしまうのはやむを得ない事なのでしょうか。生産農家の方々には頑張って品質を維持してもらいたいものです。そして優秀な生豆が妥当な価格で取引される新しい仕組みも彼ら自身によって考え出されるべきではないかと思います。


H.13.8.21

 ようやく酷暑の夏も峠を越えたようである。ここ信州では朝晩の涼風が夏ばてした体に心地よい季節となってきました。以前はこの季節が嫌いでした。夏から秋に移り変わるこの頃、なぜか体にも秋風が吹きぬけるようで、さびしさ、わびしさが厭でした。でも、この年になって(さび と わび が 味わえる年?)この時節がまんざらでもない事を知りました。暑いときは人間、活動的にはなりますがどうも思考能力は落ちるらしい。実際この夏は信じられないような事件も多かったようです。程よく夏ばてして活動が鈍ると、今まで手足に活発に流れていた血液が少しは脳にも流れ込むようである。本が読みたくなる、音楽が聴きたくなる、暫くぶりにギターのケースを開けた。秋の夜長はやはりバッハだ。生命の源、ヨハン・セバスチャン・バッハ・・・だ。


H.13.8.18

 今年はお盆休みをたっぷりと頂きました。そして今日が休み明けの初日(といっても今日店を開けるために昨日は一日中豆を焙煎していましたが)、休みの期間中にコーヒーを切らしてしまったお客様が午前中からどっと御来店下さり、昨日煎ったコーヒーもすぐに完売してしまう品が出るありさま。本当にありがたいことです。コーヒー豆は今やどこでも手に入ります。でもこの店にお客様が来て下さる。どんなにしんどい仕事でもこの「必要とされている」という実感は何にも変え難いです。それにしても暑い夏はコーヒーが売れない、というのが昔からの定説でしたが最近は夏も良くコーヒー豆が売れます。きっと本物の「コーヒー党」が増えつつあるのだ、と勝手ながら推測している今日この頃です。


H.13.7.24

どうやら、1年分の「つぶやき」のログを消してしまったようです。このホームページは職場と家庭の2箇所でアクセスして更新しているのですが、ときどきこの2台のPCの整合性が取れていなくて、こんなことも起こってしまうわけ!?  ま、たいしたこと書いてなかったからいいか?


H.13.6.14

言い訳をお聞きください^^;

ホームページ更新作業は意外にエネルギーを使います。暇なときに作業をしようと思っても一日13時間フルに働き通して家に帰って風呂に入りビールの一杯も飲めば、結果はいつもの通り。仕事の量は年々増えつづけ、体の方は年々がたがくる。楽しみだったホームページ作りも、義務感に責められるとこれはつらい。「コーヒー屋なのだからおいしいコーヒー作りに没頭していればそれだけで良いではないか」、と私の心の中の頑固職人が囁きかける。一方、「コーヒーを通じて現代を主体的に生きるには今のような怠惰な生活で良いのか?」、とこれまた私の野心に満ちた分身も囁きかける。どうしたものか?
これではいかん、このジレンマを乗り越えたい。仕事の仕方を変えなければ!と思い立ち、ホームページを見直すことにしました。

「閑ができたら更新しよう。」、これがそもそも間違いでした。ウェブサイトを仕事に組み込んでしまったら、これはもうやらざるを得ない。私一人の努力では賄えないなら、スタッフの協力も仰ごう。やるからには多くの人がこのサイトで有益な情報を得られるようなものにしたい。


意欲満々!

   願わくば、またまた3日坊主となりませんように!?   


3/18
 「仰げば尊し我が師の恩」・・・今も昔も卒業式の感動は変わりません。変わらないでほしいものです。でも残念ながらテレビを見ているとなんだか日本の学校の一番大切なセレモニーが「日の丸」と「君が代」でぎくしゃくしているように思えます。築き上げてきた人間関係までこんな事で最後にひびが入るとしたらとても悲しい事です。確かにこの事に賛否両論あるのは確かです。この二つのものに限りなく愛着を感じる人がいる反面、帝国主義と血の匂いのする過去の残酷な歴史を思い浮かべる人もいます。血の匂いのない国旗などはほとんどこの世界中に存在しないでしょうが、「日の丸」が文字通り明るい太陽のイメージとして国民皆に認知されるようになるまで国も教育者もこの国の歴史の汚点を避けることなく議論する必要があると考えます。そしてそれが出来ないうちは「日の丸」はせめて晴れ舞台の「真ん中」からは外すべきではないでしょうか。


3/10
 毎年恒例のホテルレストランショーに行って来ました。コーヒー器具、主に色々なエスプレッソマシンを試すのが目的でした。8日、会場の東京ビッグサイトに向かうため新宿から地下鉄丸の内線に乗り、赤坂見付で銀座線に乗り換え新橋に向かう途中「日比谷線脱線事故」のアナウンス。あんな大きな事故になっているとは夢にも思いませんでした。東京暮らしの頃、また今も東京に出向いた時に良く営団地下鉄は利用していますが、確かに営団地下鉄のカーブは急な所が多く、断続的に大きな揺れを感じてヒヤリとする事がありました。今回のような事があるとおちおち居眠りもできませんね。


H.12年(2.000年!)1/5
 皆さん、明けましておめでとうございます。なにが目出度いかというと、Y2Kでコンピューターが誤作動を起こしてガスや水道が止まってしまう・・・なんて事が起こらず、また原発が爆発!!・・・なんて事も起こらず、またまたロシアからミサイルが誤発射されてノストラダムスの予言が現実になってしまう・・・なんて事も結局起こらず・・・ただただ穏やかな暖かいお正月を迎える事ができたからです。
 こんな呑気な事を言っていられるのも、関係者の方々の不眠不休の努力のお陰であるわけですが、それにつけてもあの買い込んでしまった非常食や燃料、水などはどうしたら良いだろう?来るべき大地震の備えとして蓄えておくことにしようかな。キャンプでも使えそうだし・・・。


12/9
長い間このページをほったらかしにしてしまいました。非常に忙しかったこともありますが、大好きな秋の夜長、パソコンに向かうよりギターとお付き合いするほうを選んでしまっていたのでした。今、バッハを弾いています。ギターでバッハ?・・・なんて訝らないで下さいね。ヨハン・セバスチャン・バッハさんはギターと親戚のリュートという楽器のために「無伴奏リュート組曲」というものを作曲してくれたのです。この作品、バッハさんが不遇の時代、(ドイツのケーテンという地方都市にいたころ)それまでのような華やかな管弦楽団もないので、しかたなくそのへんに転がっている楽器のためにシコシコと暇つぶしに無伴奏でも楽しめる曲集を作っていったのですね。バッハさんにとっては暇つぶし?だったかもしれませんが、これが私たちにとってはこの上ない贈り物となりました。リュート組曲のみならず、バイオリンパルティータ、無伴奏チェロ組曲などの編曲ものも私たちを楽しませてくれます。バッハの作品は食べ物で言えば「するめ」かな?こころは・・・噛めば噛むほど味が出るんです。そしてまたとても生命力を感じることができます。来年はバッハ没後250周年ということらしいのですが、みなさんもバッハさんと親しんでみてはいかがでしょうか?ちなみにバッハが活躍していたころ、ヨーロッパではコーヒーが爆発的に飲まれるようになりました。コーヒーに夢中になっていつまでも嫁に行かない娘と心配する父親をモチーフにした「コーヒーカンタータ」は有名です。

ほんとうに短い秋でした。また少しパソコンを触ることにします。


10/1
東海村の事故は本当に肝を冷やしましたね。 一瞬、12年前のチェルノブイリの惨事が 頭をよぎりました。  色も無く、匂いもしない放射能・・・ テレビで事故現場近くを笑いながら下校していく 子供たちの姿を見て、「早くうちに帰って窓を閉めて じっとしてなさい!」と叫びたくなりました。  大袈裟だと思われるかもしれませんが、原子力の 事故はそのくらい過敏で丁度良いと思います。特に 子供は放射性物質(放射性ヨウ素)を甲状腺に取りこみ やすく、甲状腺癌や白血病の原因になりかねません。  チェルノブイリ周辺では多くの子供たちが被爆し、 当局によって遠く離れた施設に隔離され、人知れず 命を落としていったといわれています。  あれだけ怖い思いを世界中がしたのに、今回の 事故の対応のひどさ!!原子力関係者は今回も 「信じられない事故だ、ありえない事故だ。」と 言っていますが、チェルノブイリの時も同じことを 言っていたのです。  マスコミの対応もまずかった。憶測であやふやな 事をだらだら話すレポーターなど引っ込めて、現在の 風向きや放射能カウントなど、国民が知りたがっている 客観的事実を刻々と報道すれば良いのに・・・  ちょっと熱くなってごめんなさい。 原発事故にはすこし思うところがあるもので。 実は私達の最初の子供が生まれた年に、あのチェルノブイリ の事故があったのです。  恐ろしかった。 子供たちにこれから何を食べさせれば安全なのか、 また日本で同じ規模の惨事が起きたら、いったい せまい国土でどこへ逃げたら良いのか、そんな事まで 考えました。  でも人間は忘れっぽい動物ですね。あの時の 恐怖感が日に日に薄れ、最近まで本当に無頓着に なっていました。  あの程度で済んで、むしろ幸いでした。 当局の決り文句の「考えられない事故」が、原発本体 でおきて、「メルトダウン」がおきたらこの時こそ 本当に日本はおしまいです。  でもいまさら怖がらないで下さい。 こんな現実のもと、もう何十年もわたしたちは暮らして きているのですから。


9/20
 最近の東ティモール情勢を見るにつけ、インドネシアという国に対しての不信感が増幅していくのを抑える事が出来ない。と同時になんともやるせない無力感に襲われてしまいそうになる。
 東ティモールはコーヒーの産地として太平洋戦争以前より有名で、その多くが日本に輸出されてきた。戦争中は南洋に侵攻した日本軍に占領されたわけで、ティモールコーヒーに特別な感傷を抱く年配の方もいらっしゃるにちがいありません。

 ティモール島の歴史を調べてみると、それは大国の覇権主義に翻弄された苦難の歴史であったことがわかる。「ヨーロッパ人がティモールを訪れる以前は、この島はたくさんの王国に分かれていました。それらを統治するものは東部ではリウライ、西部ではラジャと呼ばれていました。ヨーロッパ人が到来するずっと以前に、中国人やアラブ人の商人がすでに頻繁に東ティモールの地を訪れていました。ポルトガル人は東アジア、および東南アジアを訪れた最初のヨーロッパ人でしたが、オランダ人がすぐその後に続き、ほとんどすべての領域の支配権を奪うことに成功しました。しかし、オランダ人がポルトガル人を追い出す事に失敗した場所がマカオとティモールだったのです。1702年、ポルトガルはティモールにおける植民地行政を始めましたが、19世紀の半ばまでポルトガルとオランダの白檀貿易をめぐる抗争はおさまることはありませんでした。結局オランダは島の西半分を統治し、それはインドネシア共和国の成立とともにインドネシア領西ティモールとなりました。そしてポルトガルは1975年11月25日における東ティモール民主共和国樹立まで東ティモールにその支配権を残しました。」
 日本軍は太平洋戦争中、このポルトガル領であった東ティモールに侵攻したわけである。わずか3年の占領期間ではあったが、戦時ゆえどのような非人間的な行為があったか、想像するだけでも胸が痛む。かといってポルトガル支配が良かったかというと決してそうではなかったことがその反乱の数からも推察できる。
 日本の敗戦によって東ティモールは再びポルトガルの植民地となったわけだが、1974年ポルトガルでクーデターにより長年の独裁政権が倒され、社会主義政権が誕生すると東ティモールでも独立にむけての動きが活発化することになる。虐げられ続けた人々がいかにこの時精神的高揚を感じたか、想像に難くない。

 しかし東ティモールにとって最大の災いは、隣人がアジアの強国たらんとしていたインドネシアであったということである。インドネシアは1975年12月7日大軍をもって東ティモールに侵攻し、これを併合する。夥しい数の民衆が虐殺された。インドネシア軍の侵攻によって、当時64万人の東ティモールの人々のうち、なんと20万人が殺されたという。そして大切な事はインドネシアただ一国の無法によって事が成されたわけではないということである。確かに手を下したのはインドネシア軍だが、当時のアメリカとオーストラリア政府はこのことを事前に承知していたらしいのである。オーストラリアはインドネシアの東ティモール併合をいち早く承認した。アメリカはインドネシアに大量の兵器を供与し続け、そして我が日本はODAによって豊潤な資金をインドネシアに与え続けた。かくして国力に不相応の強大な軍事国家がアジアに誕生したわけである。
 
 ハビビ大統領の指導力のなさゆえに死ななくてもよかった多くの人々がまたこの世から消し去られた。現在国連平和維持軍が東ティモールに展開しはじめ、独立の実現へむけて一歩前進したかにみえる。しかし軍部の出方次第でなにが起こるか分からない。完全な独立が保証されるまでこの地域から目を離すことは出来ない。


参考文献・・・アムネスティーインターナショナル日本支部編、「小さな島の大きな戦争」(第三書館)
 本文中の「 」内は文献よりそのまま引用しました。

 東ティモールに関して南箕輪村で自然農業を営む河崎宏和さんより多くの情報をいただきました。
また同氏よりメールにてティモール情報のホームページを教えて頂きましたので、ここに紹介いたします。

 IFET-OP日本事務局 http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/
インドネシア・フォーラム http://www.indonesia.toach.org/
 


8/30
 先日コーヒーの仕入れ先の生豆問屋へ用事で大阪へ出向きました。いつもは高速バスを利用して梅田まで乗り換えなしの5時間の旅なのですが、今回は学生の帰阪の時期と重なりチケットが取れずやむなく乗り換え3回の列車の旅となりました。バスに比べて運賃は2倍、所要時間は殆ど変わらないのですから、なんと割高な旅行になってしまったものかと思っていましたが、利用してみるとこれが以外に新鮮で快適。ぶっ続けの5時間のバスにはいつもうんざりしていたのですが、今回はおしりがむづむづしだしたころに乗り換えという適度な運動が入ったため、以外に楽な旅行となりました。特に塩尻から名古屋までの木曽谷を走り抜ける特急は特筆もので、スピード感、乗り心地、ともに最高でした。これで料金がもうすこし・・・

 大阪旅行その2
 覚悟はしていたものの大阪は暑い!日中はともかく夜のあの蒸し暑さは信州高冷地仕様の体にはこたえました。夜、心斎橋か御堂筋あたりに繰り出して飲み歩き食べ歩きを期していたのですが、悲しきかな粗食に慣らされた我が胃袋、大阪の暑さにも抗することかなわず、美食を眼前にしながらあえなく戦わずして白旗をあげてしまったのでした。


8 /14
 只今日本のお盆を満喫中です。と言っても今年は当家は新盆で、来客も多くいろいろ気ぜわしい。普段はあまりお付き合いのないお寺の住職も棚経をあげに来てくださった。これまで客商売ということもあってお盆中もほとんど休まず仕事に没頭していた。子供の頃は典型的な核家族でお盆の時期も普段と変わりはなく、だらだらとした夏休みを過ごしていたっけ。
 そんなわけでこの歳になって初めての「ザ・オボン」である。先祖を偲んで親戚一族が集まり、和やかなひとときを過ごし、子供たちと花火を楽しみながら死後の話など非日常的な会話をしたりする。死者がとりもつ人間の絆、クリスマスをみなで祝っても良いではないか、結婚式を三三九度の神式でやろうが良いではないか、でもやはり日本の夏はお盆で決まり。ちょっと節操がないかな?


7/4
 梅雨の中休みといった感じの今日、当店でかねてから予定されていた「信州大学フラメンコクラブ」のコンサートが催されました。踊りと歌とギターの本格的なパフォーマンスに当店の雰囲気はさながらスペインはアンダルシアの酒場(?)と化したのでした。この時期はさすがに湿度が高めですが、この信州の地は夏も比較的にからっとした爽やかな気候で楽器演奏には最適の地です。スペインと信州って以外にマッチするのかもしれませんね。私もこのコンサートの後、気分はスペインって感じで家に帰ってから久しぶりにギターを弾きまくりましたよ。私はクラシックギターが好きでフラメンコギタリストではありませんがスペインものの曲も好きで良く弾きます。グラナドス、アルベニス、タルレガ、ロドリーゴ・・・スペインの色香と郷愁を漂わせるメロディー、遥かなる大地、スペイン・・・ホセフィーナは元気で暮しているだろうか?

コンサートの画像はここをクリック!


7/2
 ひどい雨でした。天竜川のすぐ近くに住んでいる私たちは、久々に水のもたらす脅威をまのあたりにしたのでした。6月末から断続的に降り続いた雨は火曜の朝方には遂に台風のような様相を見せ始め、川の水位は上昇、諏訪湖の釜口水門の放流量が増えるにつれて私たち川下の住民は恐怖に震えたのでした。幸い、我が家の周辺では大きな災害はなかったものの、下流では大きな橋の橋脚が沈んで通行できなくなる事態も発生。伊那市では床上浸水する家屋もありました。
 これって究極の選択ですよね。放流を増やさなければ諏訪湖があふれ、それを増やせば天竜川流域の住民が不利益をこうむる事もあり得るわけです。担当者の適切な判断と、早期の警報を切に望みたいと思います。
 それにしても西日本、特に九州の方は大変ですね。更なる災害の起こらない事を願うばかりです。 


5/11
  5月5日の子供の日、何気なく新聞に目を通していて思わず声をあげそうになった。

「75年ぶり マロリー氏の遺体発見」

 「そこに山があるから」の名文句で知られ、エベレストで謎の死を遂げた英国の登山家ジョージ・マロリー氏の遺体が75年ぶりにエベレスト山中で見つかった事が3日、米シアトルに拠点を置く「マロリー、アービン捜査隊」のホームページで明かになったのだ。
  山屋でもない私がこの記事に釘ずけになった理由は、2月にある本を読んだことによる。その本のタイトルは「神々の山嶺(いただき)」、夢枕 獏氏の力作である。

 女房が買ってきた本だったのだが、横取りして一気に読んでしまった。
主人公は孤高の天才クライマー羽生丈二、そして彼を追い求め行動を供にするカメラマン深町。二人はともに年齢的に登山家としてのピークを過ぎていたが、運命の糸は彼らを厳冬期ヒマラヤのエヴェレスト南西壁へと導いてゆく。
 この運命の糸を紡いだのが今回発見されたマロリー氏だったのだ。
エヴェレスト初登頂を果たしたのは、ヒラリーとシェルパのテンジンということになっているが、これより前にヒマラヤ登山史上最大のミステリーとでもいうべき事件、マロリーの失踪と遭難があった。しかも、このマロリーがエヴェレストの頂に立った可能性がある、というのである。
 マロリーが持っていたであろうカメラがもし発見されて初登頂の証拠写真が現像されれば、エベレスト登山の歴史は書き換えられるわけである。こんな発想から物語りは進んでゆく。
 誰もなし得なかった冬季無酸素南西壁よりのエベレスト登頂。恐ろしいほどリアルな描写は山の経験の無い人でも確実にそこに居合わせているような気分にさせてくれます。そして主人公羽生の一途な、そして切なくなるような山への想い、それに触発された深町の精神の高揚していく有様・・・。同じ世代を生きる自分にとってもなにか人事ではない、胸をかきむしられるような情念が沸き起こるのを抑える事ができなっかった。
 主人公羽生は遂に誰も成し得なかった冬季無酸素南西壁登頂を達成するが、力尽きて帰らぬ人となる。そしてその羽生の傍らに・・・あのマロリーの遺体が・・・。

 こんな筋書きでしたが、まあ良く出来た小説だと感心していたところ、5月5日の記事である。本当にマロリーの遺体が出てきたのだ。タイミングが良すぎますね。いずれにせよ構想20年、膨大な取材と、自身エヴェレストにも何度も出向き、死ぬような目に会ったともいう登山をこなし書き上げた本格山岳小説に大きな賛辞を送りたい。そして現実にいたマロリー氏に・・・・・・・合掌。

 


4/26
  PTAの役員を仰せつかってしまった!子を持つ親のつとめとはいえ、苦手じゃー、大勢の、しかもほとんど女性の前で喋ったりするのは・・・。
  学年会長ということで、なにか行事を考えなければならなくなり、学年のホームページづくりを提案したものの学校の教員全体の情報教育に関する意識が低く、あえなくボツ!2001年までに全ての学校がインターネットで結ばれるというのに、こんなことで良いのでしょうか?環境が整わない、予算がないというのも理由としてはもっともですが、好むと好まざるとに関わらず近い将来情報社会の大きなうねりの中に放り出される子供たちに対して、現状の不備と自身の嗜好を理由に何もしないというのは、やはりおかしいと思います。
 これは特定の先生を指しているわけではなく、学校という閉ざされた組織にありがちな傾向と思われるので取り上げた次第。ちなみに私の子供の担任は進んでいますよ。いろいろな連絡や、計画書の類も私とE-mailでやり取りしているくらいですから。
 学校が早くインターネット環境を整えていけば、父親不在のPTAもだいぶ様変わりするんではないでしょうか?父親だって気軽に学校と関わりたいと思っているはずですから。
 
 インターネットを学校に導入しようと頑張ってる全国の先生方、いろいろ障害もありましょうが、子供たちのために努力して下さい。
 こんなホームページを見つけましたよ。
 http://www.harenet.ne.jp/seiden/t-dialy.html
 http://www.harenet.ne.jp/seiden/linkga.html
 http://www.asahi.com/ad/clients/school/index.html


3/19
 ようやく新しいノートパソコンの環境が整い、ホームページをいじり始める事ができました。手始めはトップページのフレーム化。いかがでしょうか?使い易くなりましたでしょうか。もっとも内容が変わってなければ意味がないか・・・。これから更に役に立つページにしていきますので、引き続きご贔屓に!
 それにしても、自分の時間をもっと作りたいと思って導入したパソコン、仕事を手っ取り早く片付けるためだけと思って始めたパソコン、ミイラを取りに行って見事にミイラになってしまいました。ミイラ作りに協力してくださいました周りのパソコン先生諸氏、恨めしくもありますが、感謝、感謝!お蔭様で宇宙語だったパソコン用語が最近では何とか普通の外国語程度には聞き取れるようになりました。
 パソコンで得たものは想像以上に大きかった。パソコンを通じての友人を得、インターネットで地方在住のハンディキャップも克服できそうである。が、・・・無邪気に喜んでばかりはいられないような気がする。失ったものはないのだろうか?視力?体力?睡眠時間?・・・それもあるが何より大切なものは、この道具を使わないと決めた人々とのコミュニケーション。愚人の嘆きの決り文句 「もっと時間が欲しい」 を近頃自分もつぶやいている。時間を生み出す魔法の道具のはずだったパソコンに踏み潰されそうになりながらも、「若い連中にはまだ負けない」 と作り笑いを浮かべながら、今日も「・・・トホホ」、「・・・ドッテコウナルノ」 を繰り返している・・・。


1/30
ようやくインフルエンザの呪縛から生還!!
全くひどい風邪でした。最初は軽い頭痛から始まり、38度の発熱、熱は2日でひけてやれやれと思ったのもつかの間、こんどは喉の痛み、3〜4日苦しめられた次は内臓も跳び出んばかりの咳、これがまた夜寝ようとすると発作のようにやってくる。寝られたもんじゃない。3〜4時間ばかりの睡眠が続く・・・。10日ほどでようやく咳がおさまり、これで完治したかと思ったら、最後は腹にきたきた、もうあったまーにきた!風邪の症状のフルコース。どこまで人を苦しめるんでしょうね、高齢者や幼児にはきついですよこれ。亡くなる方も出るわけです。皆さん、くれぐれも軽い風邪だろう、なんて舐めてかかってはいけませんよ。手ごわいですぞ、こんどのやつは。 


平成11年 1/8
いよいよ20世紀のどん詰り1999年の幕開けです。うさぎのように軽やかに21世紀へ飛躍したいものですが、日本や世界を取巻く情勢には鬱々たるものを感じざるをえません。
個人的には、40の大台に乗ってからは体力の衰え覆うべくもなく、初心忘るべからずとおもえども、笛ふけど我が身体おどらず・・・
そんな事を考えていた時、今日NHKの番組「秋野 さんがのこしたもの・日本人へのメッセージ」を見た。国際政治学者でありながら、国連PKO活動に身を投じ昨年7月にタジキスタンにおいてテロの犠牲となった秋野 豊さん。50近くなって地位も名誉も盤石でありながら、悩みつつも危険な地域へ身づから赴いて他のPKO隊員から「最後のサムライ」と称された彼の心の軌跡は、ぬるま湯に慣らされた我々日本人に強烈なメッセージを残したと言えるだろう。


11/19
アメリカ大統領のビル クリントンが来日しましたね。
セックススキャンダルで今度こそはおしまいか、と思われましたが不死鳥のごとく立ち直り支持率も回復。一体この人のどこにそんな強運と魅力があるのか。
来日早々某テレビ局にて日本の一般人との直接対話、クリントン大統領の素顔にふれる良い機会でした。下記のURLにて対話の英文、日本語訳、またReal Playerにて映像と音声が楽しめます。
http://www.tbs.co.jp/


10/30
 今朝懐かしき人より電話あり。
なんと34年ぶりの音信である。電話の主は小学校の同級生 岩崎氏で、同級会をやるとのこと。この小学校は長野市の城東小学校で、私は東京から転校してきて小学校1年の2学期から3年間この学校に在籍した。県庁所在地とは言っても当時学校の周りは田んぼや空き地だらけで、遊び盛りの子供にとって正に天国でした。十数年前に地すべりをおこした地附山のてっぺんには小さなスキー場があったっけ、今みたいな高級スキー板など高嶺の花で、竹を裂いてきように竹スキーをつくってあそんだものです。懐かしい!口ではあらわせないほどの郷愁が込み上げてくる。幼い日の思い出が次々に甦り私の脳裏を駆け巡る。酒井先生(マンボ先生)お元気ですか、みんな元気ですか?
 小学校4年生からまた東京暮らしが始まり、こちらから連絡を取ることもなく今まで来てしまった。覚えていてくれてありがとう、11月7日、必ず行きますよ。


10/15
今話題の「プライベートライアン」を見てきました。
スピルバーグ監督、トムハンクス主演の映画でした。
第二次世界大戦にアメリカが参入したノルマンジー上陸作戦から物語が始まり、トムハンクス率いる小隊が上層部の命により、多くの犠牲を払いながらも、一兵卒に過ぎないライアンを救出するために最前戦で勇猛果敢にドイツ軍と戦う・・・と、簡単に説明すると安っぽい西部劇みたいになってしまうのですが、この映画はちょっと違いました。
映画が始まってからの20〜30分間は、まるで自分がノルマンジーのオマハビーチにほうり込まれたような気分にさせられます。カメラの目線は自分の目線のようであり、上陸用舟艇の後部にいるじぶんの目が上陸開始と同時に信じられないような惨劇を捉え始めるのです。カメラは固定されず、絶えずブレ続け逃げ惑う自分の目線として修羅場を写してゆきます。
如何なる正義のための戦いといえども、戦場とはこのようなものとこの映像は語っています。いえ、正義などというものは戦争にはありえない、とでも言っているようです。実際、アメリカ兵は降伏したドイツ兵を虐殺します。戦争の恐怖は自身を狂気へと駆立てることによって克服されるのでしょうか。
最後の戦闘シーンも圧巻でした。個人的には何の恨みもない人間同士が殺し合う、その生々しさ。
まあ、このくらいにしておきましょう。これからこの作品を見ようとしている人に悪いですから。

映画館を出た時、何か悪いものをみてしまったな、と正直思いました。しかし、日がたつにつれ、この映画を見ておいて良かったと感じるようになりました。人間は忘れっぽい動物です。親や、祖父などから聞いて戦争の実態を追体験したつもりのようでも、やはり美化したり、または無意識のうちに忘れ去ろうとしたりしていませんか。若い人たちにおすすめします、性根を据えて見てください。


9/20
我が家には幸せな動物が一匹いる。寝たい時に寝、食べたい時に食べ、日々の仕事といえば庭にさえずる小鳥を追いかけ、近所のノラとの喧嘩に明け暮れ、疲れ果てると我が家に土足で上がり込んでお気に入りの座布団でごろりと昼寝・・・そう、その動物は猫。こいつは不思議な生き物だ。とりたてて人の役に立つわけでもないのになぜか人間どもに愛されて、好き放題に振る舞う。

少しはわんちゃんを見習いなさい!・・・と、私は言いたい。
人間にひどい仕打ちをされ、処分される運命にあったわんちゃんも、地域のボランティアの人々の温かい愛情と保健所のバックアップで人間との信頼関係を取り戻し、立派に仕事をしようとしておる。「聴導犬」の爪の垢でも飲ましてやりたいわい・・・。

こら、猫!人の話を聞いておるのか?いつも人を小馬鹿にしたような態度で、自分が甘えたい時だけ猫なで声・・・

あー、そんな猫が・・・僕は好き。???

「聴導犬」に興味のある方は、ココをクリック


8/29
「信州たつの ふるさと農村公園」・・・なんだかにぎやかなネーミングですねー。私の住んでいる町では、「ふるさとグリーンビレッジ構想」なるものが推進されていまして、まーなんですね、逆転の発想というかコロンブスの卵的すんばらしいアイデアというか・・・決して茶化しているわけではありません。
実際この事業は「郷土の美しい自然環境を守りながら、その魅力を積極的にPR・活用し、都会の人々と交流を深めていこうとする」崇高なものなのであります。
町長が代わったりしていろいろ紆余曲折があったようですが、ついに10月9日オープンします。
「日本一のかやぶきの館」や薬膳、薬湯、滞在型農園施設など、都会の人には「目から鱗」的なレジャーが提案できるかもしれません。乞うご期待!
辰野の宮川さんがこの事業の素晴らしいホームページを作られました。是非ご覧になってください。
アドレスはこちら・・・http://www.lcv.ne.jp/~kayabuki/index.html


8/24
祖母が死んだ。8月13日、享年92歳の天寿を全うしての他界であった。
昨年来、入退院を繰り返していたのだが、長年働き続けた心臓も最後には力尽きたのだった。
私にとって祖母でもあり母でもあった人だった。東京で生まれ育ち、就職に失敗した私を信州で温かく受け入れてくれ、自分は養子としてその人と一緒に暮らした。
人の死を真正面から見据えた初めての経験だった。良い歳をして幸いにもこの様な経験は今までに殆どなかった。私と家内、そして子供達にとって代え難い経験となった。
それにしても大変な夏でした。


6/29
最近の為替の動きときたら、まったく乱暴なものだ。1ドル360円の固定相場の時代にながく身を置いた者にとってこれは刺激が強すぎる。円が安くなったといっても360円の時代に比べれば信じがたいほど円高であるとも言えるし、80円を切った時に比べれば、これまた信じ難いほどの円安とも言えるわけだが、円の価値の揺らぎがなんとも心もとない。
1ドル360円の頃、コーヒーは本当に高級品だった。家庭で気軽にレギュラーコーヒーを、なんて時代じゃなかったんです。まして当時は生産国同士で取り決めた輸出割り当て制なんてものがあって価格が統制されていた、と記憶しています。それが為替の変動相場が実施され、円高基調になり、更にコーヒーの輸出割り当て制が撤廃されたとたんにコーヒーの輸入価格が下がり始めたわけです。
その結果何が起こったかというと、「コーヒーは儲かる!」ってんで、異業種の参入、コーヒー事業への過剰設備投資、粗製乱造、乱売でした。通販もオフィスコーヒーも花盛り、我も我もとコーヒーに参入して来ました。勿論地道に発展してきた業者の方もおられるわけですが、なかには1発屋も・・・。
競争それ自体は良いことだけれども、競い合うに値するものに対しての競争でありたいものです。円安になって、さらにコーヒー相場が多少高くなっただけで事業を放り出してしまうようなら最初からコーヒーなぞに手を染めぬ方が良い。それは不毛な競争と市場の荒廃を招くだけだから。


6/8
今日、新しい焙煎機が届いた。正確に言うと「新しく届いたセコハンの焙煎機」だが・・・。
今使っている焙煎機はいたって快調に動いているのだが、万が一のトラブルの際のサブマシンである。この機械、東京の某中堅メーカーが使用していたものであるが、シンプルな機構で好感が持てたので購入を決めた次第。最新式の奴は電子機器を必要以上に使ってあることが多く、どうも好きになれないのだ。ハイテクとローテク、じょうずに使い分けていきたいものです。


5/3
長い間アルバイトをしてくれた信州大学農学部の卒業生Y.T君。念願であった教職を北海道は旭川の地に得て現在孤軍奮闘中。まじめでロマンチストの彼が雄大な自然の中でどんなドラマを展開するか楽しみではある。北海道の香りのするズワイガニ、ありがとう。家族で楽しませていただきました。カニアレルギーの私をのぞいて・・・グスン。
大変な時代、厳しい社会環境の中での就職活動、さぞや苦しい思いもしたことでしょう。しかし筋を通し、想いを通した君の志しや善し。

高校1年の頃から3年間毎週日曜日にアルバイトに来てくれたM.K君。おとなしそうで頼りなげだった君が、3年間で大きく成長したのに驚きました。たまには日曜日ゆっくり休みたかったろうに、毎週日曜彼は来た。曰く「週に一日くらいは働いているところを親に見せなきゃ。」彼はサムライでした。国文学者志望の君が経済に興味を持つようになるとは意外だったよ。希望の大学に入れて良かったね。


4月吉日
メカニックなことは苦手なくせに、新しいものには興味津々の中年オジ、それが私。
地域の飲食店組合の会計を押し付けられて、如何に楽をしてこの雑務をこなすか考えて、こともあろうにパソコンの導入を決めてしまった奴、それが私。

文明の利器の神通力を漠然と信じて、文字どうり40の手習いでヨチヨチとWORDやEXELを使っていた頃は、パソコンはまだまだ私の下僕だった。しかし同じノリでインターネットなるものをはじめてから私の生活は大きく変わってしまったのでした。

おもしろい、楽しい、便利、仕事に役立つ、などなど良い事尽くしのように見えたこの世界、ネットサーフィンだけでは何か物足りず、ついに自分の店のホームページを作ってしまった。はじめてサーバーにアップロードした時の心境は、まさに日本人として初めて宇宙に飛び出したあの普通のおじさん、秋山さんのそれと同じようなものだったと思う。「おじさんでも、やればできるんだ!」

どうせなら役に立つページを作りたい、楽しんでもらえるものを作りたいと、あれもこれものてんこもり。はてさてこれからどうやって発展させていったら良いものやら・・・このページを見ている皆さん、良いアイデアが あったら知恵を貸して下さいね。


ホーム